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子供の頃の私が毎日行くお店といえば、やっぱりお菓子屋さんにパン屋さん。しかしそれら幼児の夢のショップをさしおいて、ベスト3の第一位に輝いたのが本屋さんだった、と言えば、ずいぶんこまっしゃくれたガキと言う印象を与えるだろうか。
なんと言っても私の場合、本屋さんではキャッシュレスで買い物ができたからである。
わが家は町のメインストリートの商店街で代々商売をしており、逃げも隠れもできないからだろうが、同じ商店街にある本屋では「つけ」がきいたのだ。
雑誌専門の『ブックス小林』と、ちょっとしたハードカバーを置いてる、『大林書店』と。奇しくも大小ふたつの林を名に持つ店だった。両側の壁に一列ずつ、それに中央に背中合わせになった一列。
ぎっしり本が詰まった本棚を、店の奥行きいっぱいに並べた様子は“林”そのものだった。
それらの店で、たかが十歳になるかならないかの小学生である私も「つけ」で本が買えた。店頭で手にして気に入った本があれば、店の奥に座っているおっちゃんに「“あしび”ですけど、(あしびというのがわが家の屋号だった)」とだけ言えば、お金を払わなくても持ち帰ることができたのだ。今思えば、なんと恵まれた環境だったのだろうと思う。いわば、大小ふたつの林の中にたわわに実った果樹を、ほしいだけ、タダで持ち帰ることを許されていたも同然なのだ。(むろん月末に親が自分たちの分と合わせて支払っていたのだが、そんなこと子供にはわからなかった)
もとはといえば私の父が、戦争にも徴用されないほど体のひ弱い文学青年だったおかげである。月々十冊前後の書籍を取り寄せる父は、長年それら本屋の上得意だった。
「世が世なら」鼻もひっかけないような父のところへ「身下り」して嫁いできた母が(以上カギカッコをつけた部分は母の口癖だった)、父の読書三昧の暮らしだけは大いに容認したことも幸いしたのだろう。子供である私にもその姿勢は同じだったから、私はたっぷり恩恵に浴することができたわけである。
父が本屋へ行くときは勘でわかる。私はぬけめなく後ろについていって、目敏く付録付きの絵本などを選び、父が帰ろうとする頃にはしっかり自分の本として抱えていた。
これがやみつきにならないはずがない。
学校の帰り、あるいは遊びに行ったついでに、私は本屋に立ち寄ってはさまざまな本を買った。むろん金は払わずに。愛らしい扉絵の『赤毛のアン』やビニールカバーの匂いも新鮮な『アンネの日記』を抱えて帰った日のことは、今思い出しても懐かしい。
ところが六年生の頃、父の書棚にあった司馬遼太郎がきっかけでのめりこんだ時代小説が次々請求明細に挙がるようになった頃に、母から「ちょっと待った」の声が掛かった。
父さんの注文かと思ったらあんたなの?母の突っ込みに、少年少女世界名作なんてかったるくって、と抗弁したが、子供にはふさわしからぬきわどいシーンも楽しみの一つだったのは図星である。
結局、それらの本は大人になるまで没収の憂き目をみた。権力に屈した私は、実際に金を払っている親によって管理される“林”では、本当に読みたい本を手に入れられないことを悟ったのであった。
やがて成人した私は、三宮や梅田といった大都会の本屋に出入りするようになる。鬱蒼とした本の棚、迷いそうなほどの広さ。そこはまさしく“森”だ。どこに何があるかすべて把握できる“林”の規模に慣れていた私は、思わず眩暈がしそうだったのを覚えている。
慌てん坊の私はしょっちゅうお金を持たずに“森”へ行き、今読みたい、すぐ読みたいという本を腕いっぱいにみつけてしまう。さすがに“森”では「あしびです」と言っても通用しないが、かわってカードが使えるところもできてきたのでありがたい。何にせよ、本はキャッシュレスでふんだんに買う、そんなおいしい味で私を育てたふたつの“林”は、まちがいなく私の出発点である。
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