|
今年は二十世紀最後の年にあたるが、この百年の間に、神戸の浜ほど刻々と姿を変えた場所も少ないだろう。鄙びた漁村が異国の船をつなぐ港になり、とうとう近代技術の粋を集めた巨大な橋の架かる水際になった。舞子の浜には、ここがかつて自分の知ってた場所だという目印をみつけることさえむずかしい。
けれども、鈍色に曇った午後には、決まって思い出す風景がある。
松の枝をたわませて吹く潮風の中にぽつねんと、孤独をみずから厭わぬように立ち尽くす異国の建物。八角をしたその風変わりな建物は、扉を開いて自分を招き入れることなど決してないにもかかわらず、見る人みんなの記憶に、この風景に欠かすことのできないものとして刻み込まれてきた。
人々の共通な記憶の象徴として立つ建物を、英語でランド・マークと言う。ここが他のどこでもない、ここであるという印。八角堂は、向かいに淡路、西から東にゆるゆる入り組む大阪湾を抱えた浜の、まぎれもないランド・マークだった。これを建てたのは呉錦堂という一人の男だ。雑貨の行商から身を起こし、神戸における中国人第一の成功者となった貿易商である。
彼が意趣をこらした三階建てのこの別荘は、八方の窓のどこから見ても趣が異なり、思わずひきこまれ心を奪われてしまうところから『移情閣』と名づけられた。美しい名前である。同じ中国人のよしみから、彼が辛亥革命で知られる孫文をここに招いたという縁もあって、その後、孫中山記念館として保存されてきた。そして明石大橋の整備に伴い、この春、新しい地に移築されたばかりだ。
けれども私には、歴史の英雄孫文よりも、この浜をこよなく愛し、おのれの成功のランド・マークとして移情閣を築いた呉錦堂という人物の方に、より強く心ひかれる。その窓辺に立てば、今もそこには、心を移さずにはおれないみごとな海の眺めが広がるのだろうか。呉錦堂と同じ、神戸の海を愛するすべての市民の、古くて新しい、心のランド・マークが、扉を開ける。
|