|
生まれたところは神戸電鉄沿線、出た大学も神戸女学院で、作家としてのデビュー作も神戸と名のつく神戸文学賞を受賞した。その後ずっと神戸を舞台に小説を書いているので、私イコール神戸の人、で通ってきている。
けれど、乗っている車は姫路ナンバー、新幹線の最寄りの駅は西明石と、実際のテリトリーは神戸よりも少し西にシフトしている。全国的にはその位置関係を理解してもらいにくいので、神戸です、と答えることにしているわけだ。
だがその神戸ですら、京阪神とまとめられると、都市としてのオーラが段違いなのを痛感する。
たとえばJRの宣伝では、神戸を入れて三都物語と言うけれど、京都、大阪に比べれば基盤になるべき歴史や文化の浅さはいかんともしがたい。
思えば神戸の歴史は、ペリーやハリスが来た時代、幕府が結んだ日米修好通商条約によって港が開かれてからのことだから、たかだか百年余り。いいえ私は五代前から神戸よ、と答える人がいても、その頃は目ぼしい建物といっても生田神社と長田神社があるだけの、磯臭い漁村だったのだ。現在のハイカラでモダンなイメージの神戸は、国内外から集まったよそ者たちが、二代、三代かけて作り上げたものと言っても過言でない。
当時、県庁を置くなら、西国探題として繁栄を誇った大都市・姫路こそが妥当だった。ところが姫路はあいにく三百年間、徳川家の譜代大名が治めた国である。幕府色を払拭し、新しい国家を築こうとする新政府には、長い歴史を持つ姫路より、神戸の何もなさこそが都合よかったのだろう。
新興ゆえの身軽さで、神戸は新しいものを拒むことなく受け入れてきた。どんな人でも三日住んだら神戸っ子、と言われるように、そのこだわりのなさは、北区、西区といった新興地、さらには私の足場である周辺部さえ神戸圏と呼んでオッケーなのだ。
六年前の大震災のダメージは今なお残る。でも今となっては、それさえまた新しくなるための糧になる。神戸は、今も昔も、新しいことがすべてである。
|