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神戸は、日本人が初めて見る西洋文明がたくさん上陸した街である。
ゴルフ、映画、ハイキング。居留地に住む外国人たちが、極東の異国で過ごす無聊を慰めるために始めたレクリェーションがそのほとんどだ。
だが、日本の夏の暑さをのりきるためには、彼らは海水浴もしただろう。
他のスポーツとは違い、道具や定められたグラウンドのいらない海水浴は、おそらくすぐに日本の庶民にも広がっていったのではないか。
神戸で最初の海水浴。探してみたら、明治初期頃の絵ハガキにそれをみつけた。
外国人のみやげ用に撮られたものらしく、「須磨の浜辺」と説明がある。
驚いたことに、その頃の須磨には砂浜に沿って延々と続く松林しかない。だが間違いなく須磨である証拠に、淡路島が今と変わらない位置でかすんでいる。
残念ながら、泳いでいる外国人の姿は見あたらないが、葦簾で作った海の家の周りには、それが当時の水着なのか、あきらかに軽装の着物姿の男がちらほら見える。そして手前の道を人力車が行く。いかにも名所めぐりにやってきた、といった風情の幌の奥には、島田の髷を結った女性が乗っており、その当時から須磨が名だたる景勝地だったことを伝えるのだった。
言うまでもなく、百年を越す時の流れは同じこの場所をすっかり変えた。
葦簾の家はリゾート風のコテジに。人力車の婦人はハイレグにパレオのギャルたちに。そして無口な車引きは、やかましい水上バイクを駆るアッシーくんらに。なにより、その風景はもう「須磨の浜辺」というような日本情緒の名前より、スマ・ビーチと軽いノリの呼び方がずっと似合う場所に変わってしまった。
それでも、百数十年の時を越えて、こうして私たちの夏を引き受けてきた“隣の海”だ。寄せる波の上には、もっとささやかな、自分の人生サイズの時間軸で、それぞれの夏の思い出がきらめいている。
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