玉岡かおる
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有馬への道
有馬温泉観光局協会編『有馬』
 


先日、何年ぶりかで有馬温泉を訪れてみて驚いた。有馬がそんなにも近かったという事実に、である。
その日の出発地である加古川からは、第二神明の北神戸線で、なんと五十分で着いてしまった。聞けば三宮の市街地からでも、わずか三十分で着くという。明石海峡大橋の開通に伴う道路整備で、まるで芝居の書き割りが引かれるようにがらりと背景が変わる、そんな大幅な時間短縮が可能になっていたのだ。
思えば子供の頃、何度も家族と訪れた記憶をたどると、神戸電鉄に揺られて有馬温泉駅に着くまでの時間は、夢の中にいるように長かった。幼くていつも眠りこんでしまっていたせいもあるが、やはり当時は本数も少なく速度もゆったりしていたのかもしれない。時代の進化には、あらためて賛辞を送るべきだろう。
言うまでもなく有馬温泉は、日本書紀や古事記の時代から皇族や貴族たちに珍重されていた古湯であり、太閤秀吉のような時の権力者にも愛された地だ。神戸港が開港して間もない明治初期には、アメリカ人宣教師デビスや医師ベリーなど神戸の文化に多大な影響をおよぼした外国人たちも、避暑地にここを選んでいる。文字どおり、有馬は長い歴史を通じ、京阪神のとっておきの奥座敷だったわけだ。
もっとも、それは北六甲の峻険な山を越えていく、たいへんな行程だった。折り重なるような巻き道の連続、峠越え。蓬莱峡のすさまじい峡谷の眺めや、街道に平行してせせらぐ谷川に施された、芸術的とさえ思える砂防ダムの段々。そんな、道中のつれづれを慰めてくれる山や川の豊かな風景は、有馬をイメージする時、かならず伴われてくる。
今やドラえもんの“どこでもドア”を手に入れたかのように、軽々と有馬へたどりつける私たち。この街を愛した先人たちの旅路を思う時、走りすぎるアクセス道路のそのスピードに、ほんの少し、申し訳ない気分になった。