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まさかこんな長丁場になるとは思わなかった。
三年あまり、1600枚。拙著新刊『天涯の船』の執筆にかかった時間とその枚数だ。どちらも、私にとっては初めての長さである。
だが書き始めに抱いていたモチーフは、とてもシンプルなものだった。明治の始め、メリケン波止場。日本の近代化という悲願を担って、アメリカへ船出していった女子留学生を、青春小説、恋愛小説の色を濃くして描いてみようと考えていたのだ。
モデルにすべき人物にも心当たりがあった。
幕末に開かれた神戸港には、なだれをうつように欧米の進んだ文化が入ってきたが、それを珍しがって集まってくる人も大勢いた。摂津三田藩の最後のお殿様、九鬼隆義などはその最たる人だろう。版籍奉還をすませるや、さっさと領地を捨てて神戸に移り住み、洋装に肉食はもちろん、日曜日には家族で教会へ通うというハイカラぶり。家老の白洲退蔵も、屋敷をキリスト教の宣教師に貸し与え、英語教育の場として開放したりしている。
神戸ホームと名付けられたその私塾には、息子の白洲次郎も学んだそうだが、女子が対象になると、ハイカラ殿様九鬼の娘も通った。後に彼女は、私費留学生として二年間をワシントンに過ごすのである。
男子でも薩長土肥の出身以外では出世が望めない時代、女の身で外国に学んで、いったい何になろうというのだろう。その頃の日本は、欧米との間の不平等条約を撤廃して対等になるため、自国がどれほど進んだ国であるかを諸外国にアピールしようと懸命だった。あの鹿鳴館も、そのための策である。しかし、肝心かなめ、外交の場で活躍できるような教育を受けた女性がいない。
女子留学生は、まさにそのために旅立って行ったといえる。
だが留学後の足跡をたどると、彼女たちのほとんどが結婚して家庭に入っている。なおも続く封建的な社会では、まだまだ女性が一人立ちして能力を発揮する場はなかったのだ。
では、太平洋を渡った彼女たちの労苦と勉学はまったく無駄だったのだろうか。
物語は、すでにこのあたりで五百枚を越えていた。けれども私はなおも書き進めなければならなかった。近代国家の推進力といえる政財界のエリートたちに嫁ぎ、家の内から彼らの活躍をささえ、さらに次の世代のエリートたちを育てたのは、他でもない、海外で学んで帰った女子留学生たちであったからだ。九鬼の娘が嫁いだのは、川崎造船所の初代社長。やっと日本が工業国として歩み始める、さきがけとなる造船業のリーダーだ。作品中の「桜賀光次郎」は、もちろん私が作りだした架空の男であるが、これから伸びて育って欧米に追いつこうという日本の勢いそのままに、大きな野望と自信を抱いた男である。
八百枚を越したあたりで、私の筆は、日本経済の成長と停滞、そして恐慌といった、時代の大波を描かずにはいられなくなる。光次郎がいかにして企業を拡張し、また不況に耐えたか、その成功と挫折からは、奇しくも現代の日本の状況が学ぶべき多くのことがある。さらに彼が、経済活動といった枠を越えて、国家のために果たそうとした世紀の名画のコレクション。それこそが、金でもない軍隊でもない、日本が真の近代国家として誇るべき精神の糧であることを、彼は早くから知っていたのだ。
一生をかけた彼のその“男の事業”と、それをささえ助けた女の、夢と愛。描き尽くすには、とても千枚では足りなくなった。
そうして、やっと完結した物語は、彼女たちが越えていった海よりはるかなものを私に残した。真の先進国とはどういうことか、本当の文明人とはどんなことか。上下二冊、この手ごわい厚さをものともせずに、ともに私の海へ漕ぎだしてくれる読者のみなさま。本を閉じた後にはきっと、私たちが近代化の次にめざすものの輪郭が見えてくると信じます。
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