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兵庫県がとてもゆたかな土地なのだと、アウェーに出るようになってから実感した。
アウェー、すなわち遠方の土地。サッカーなどの競技では、自分の本拠地を遠く離れた敵方の本拠地の意味でもある。
兵庫県に住んでいる私にとっては、家族や友人たちが暮らすこの地がホーム、そして、仕事で訪れる出版社やテレビ局のある東京はアウェーという位置づけになる。このアウェーで、最近とてもおもしろい発見をした。作家の谷村志穂さんとの対談の席でのことだ。
話題は私の新作、新潮社から二巻組で出した『天涯の船』という長編大河小説についてである。
この作品が兵庫県を舞台にしているのはいつものとおりで、今回は開港まもない神戸港や版籍奉還後の姫路を背景にした。ヒロインたちは先進の欧米文化を学ぶためメリケン波止場を後にするのだが、その留学の地、アメリカで、姫路出身のお乳母さまが、タコを買ってきて刺し身にするシーンがある。アメリカの食文化になじまず、かたくなに日本式をつらぬく彼女にとって、大病をくぐりぬけたヒロインの祝いの膳には、ぜひとも“前獲れの”新鮮なタコを乗せねばならなかった。
「蛸なんですねえ」
遠く故国を離れたアウェーのきわみアメリカで、生きている証に求めた食材。それが普通の魚ではなくタコであることに、ひどく感心されてしまった。
そういえば北海道生まれの谷村さんの作品では、魚といえばきびしい北洋漁業に乗り出して捕獲してきた鮭こそが“お国の魚”だ。
そばにいた東北出身の編集者も言った。
「同じ稲を同じ条件で植えても、実りは、陸奥なら一本に六十粒、でも播磨は百粒、というのを訊いたことがありますよ」
事実、律令国家の時代から播磨国はゆたかな土地で、赴任してきた国守はみな蓄財し肥え太ってみやこへ帰ったという。なるほど、住まう土地の風土の違いが歴然と現れている。
海のめぐみ、大地のめぐみ。神話によれば、国ができた最初が淡路島であるなら、この地はやはり、神々にいっとう贔屓されたお国柄であるにちがいない。
しかし明治以来の国家の悲願で、日本は、近代化と工業化とを一心不乱で追いかけてきた。海は汚され、田園は宅地に塗り替えられ、人はきゅうきゅう言って暮らしている。その神々は、おそらく眉をひそめて見ていただろう。そんなに他の土地を真似なくても、おまえはせっかくゆたかにしてやったのに、と。
さいわい、県土はひろく、北には日本海の波が打ち寄せ、内には森ふかい山地が横たわり、国家を挙げての百年の疾走の後にも、なおゆたかなみどりが息づいている。
たぶん私たちは、見つめなおす時に立っているのだろう。このゆたかな故郷、アウェーに出ればかならず思い返されるやさしい土地を、微笑みながらホームです、と呼べる新しい故郷とするために。

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