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堀川和洋姫路市長と作家の玉岡かおるさんに播磨地域の魅力やこれからのまちづくりをテーマに語り合っていただきました。
新春対談
堀川和洋(姫路市長)
玉岡かおる(作家)
那須清吾(国土交通省姫路工事事務所長)
古代からの豊かな土地として・・・
那須:本日は『話そうはりま』創刊第2号の企画といたしまして、堀川和洋市長と作家の玉岡かおるさんに、播磨の歴史・風土、文化、そして明日の播磨はどうあるべきか、といったテーマでお話を聞かせていただきたいと考えております。
玉岡:私の作品「をんな紋」三部作は川を物語りの底流に据えた小説で、執筆のために、また出版後も播磨の川について勉強する機会が増えたのですが、その過程で強く感じたのは「播磨地域を語るには川を抜きにしては語れない」ということです。播磨の川は人と物が行き交う水路であると同時に文化の通り道でした。特徴的なのは、加古川、揖保川、市川などそれぞれの流域で独特の流域文化を形成していることです。河口付近まで下がって山陽道と交差し、さらに東西南北の文化が交流するわけですが、やはり文化を育んだ中心は「川」だったと思います。
堀川:「播磨国風土記」は現存する最古の風土記と言われていますが、その内容からも古代から播磨は豊かな土地だったことがわかります。例えば「手柄山」は、もともと「手刈山」と言われ、弥生時代に稲を手で刈っていたと言われる場所だそうです。人が住んで稲をつくっていた遺跡ですよね。
また、聖徳太子が法隆寺という立派なお寺を建立できたのは、天皇から播磨国の水田(現在の揖保郡太子町付近)を賜ったからだと言われており、このことからも播磨の豊かさがわかります。
肥沃な土壌とともに、瀬戸内海特有の恵まれた気候のため、播磨地域の日照時間はとても長いようです。古代から豊かな播州人はハングリー精神が少ないのかもしれませんね(笑)。
玉岡:お城があったことも大きいですね。良くも悪くも他の地域から影響されない播磨文化というものができたように思います。播州人独特の気質もありますし、揺るぎない文化があります。
堀川:播磨は、東は現在の神戸市垂水区舞子周辺から、西は岡山県境、北は生野銀山あたりまでを指したようですね。明治時代には一時期、姫路県や播磨県といった一つの県を成していました。サンショウウオが増えてきた・・・
那須:歴史から見る播磨の風土や文化の一端を知ることが出来ました。それでは、播磨の川についてお話をお願いします。
堀川:私は、加古川流域に住んでおられる玉岡さんをうらやましいと思っています。加古川はすばらしい川ですよね。流域の市民や行政の皆さんが加古川をきれにするため、下水道整備にかなりの予算を使ってきましたが、ここ数年、市川上流にサンショウウオが増えてきました。これは明らかに川の水がきれになったということです。
那須:確かにそうです。国土交通省が管理している揖保川も、平成3年には水質が全国ワースト3位の川でしたが、「清流ルネッサンス21」という事業により平成10年には近畿でベスト2位のきれいな川になりました。
玉岡:日本が近代化される過程で川が汚れてしまったわけですが、およそ100年経った今、川を大切にしなければいけないことや、川が与えてくれるものに気がついたように思います。トータルにバランスの取れた河川環境を私達が享受できるのは、すごく幸せなことだと思います。
経済成長を目的とした時代が一段落した今、市民が求めるものが多様化してきました。それまでは、お腹が満たされて豊かになりたいという願望が100人いれば100人とも同じだったからよかったのですけれどもね。現代は不況とはいえ、お金はそこそこでいいから健康でありたいとか、もっとゆとりがほしいとか、求めるものが人それぞれ異なる時代になりました。
堀川:私は若いころバンコクで一等書記官をしていましたが、貧富の差は川でわかります。メコン川の上流にはラオス、カンボジア、下流にはタイがあります。同じ流域にありながら、なぜタイが豊かなのかというと、年に何回が川が氾濫します。川から与えられる養分が海に広がり魚も多くとれる。このようにタイは川の恩恵を受ける場所にあるおかげで、豊かな生活を営むことができるのです。
玉岡:私はベトナムでメナム川の河口の風景を見た時に、太古の加古川の原形を見たような気がしました。万葉集には「可古の島」という言葉が出てきますが、はじめはどこに島があるんだろうと思っていました。のちに、河口付近には三角州がいっぱい出来て、洪水のたびに現れたり消えたりしていたということがわかりました。
堀川市長がおっしゃられたバンコクと同様に、ベトナムも河口に行くとたいへん肥沃です。ベトナム料理がブームですが、生春巻の皮が米から作られることからも、米に恵まれた人々の暮らしぶりがわかります。
メナム川とは「母なる川」という意味です。モンスーン気候に属するアジア人であれば発想は共通しています。日本でも川は「母なる川」といわれていますよね。
堀川:「川に魚あり、田に米あり」は豊かさを表現する言葉です。
那須:玉岡さんがおっしゃられたように、加古川や揖保川は明治初期までは氾濫するたびに河道が変遷していました。明治中期から人々が安全に安心して流域に住むことが出来るよう河川を改修し、その中で自然環境も変わっていったことは事実です。
堀川:川は養分を山から海まで運び、魚が育つわけです。この1〜2年、姫路の水道水に臭いが入るようになったのですが、調べてみると、原因は山の手入れや伐採をしていないからではないかと言うのです。山と川と海はつながっているのですね。
玉岡:川のことを考えるのに、川だけ見ていてもダメ。漁師は、魚がとれなくなったのは山が荒れているからだとよく言いますね。
一方で、川は昔、境界線でしたよね。例えば、加古川流域の稲美野(いなみの)には大和朝廷の天皇が狩りに来られたようですが、川の流れで道がさえぎられていたようです。また、江戸幕府は川を「入り鉄砲に出女」を阻止するための手段として使いました。そういう不便さが明治以降の公共事業のおかげで解消されたのはありがたいことです。
東西の文化を交流させた播磨の道・・・
那須:では次に道の話をお聞きします。現在の国道2号は古来より山陽道として多くの人々が行き交うとともに東西の文化が運ばれていました。
玉岡:私の考えとしては、道は「点」がないと「線」の意味がないと思うのです。
その意味で参勤交代の江戸時代の道はうまく機能していたと思います。西国の大名はまず室津まで船で来て、そこから上陸して山陽道を通る。だから室津は「室津千軒」と言われるほど賑わったようですね。今も雰囲気のある港町の風情を残しています。室津は港、つまり「点」であったために、良い風情が残ったと思います。
道は便利になりすぎると、「線」として通過するのみになってしまうことが問題だと思います。新幹線にしても高速道路にしても、「姫路」という地名を書いた標識は見ることができますが、通過してしまいますよね。大阪から博多まで、ただ突っ走る「線」では意味がない。文化があふれる受け皿・受け口として、寄り道や途中下車をして、その地域で得られる豊かさが感じられるような工夫が必要だと思います。
堀川:参勤交代の時代、姫路は恵まれていました。薩摩や長州など西国の大名は必ず姫路を通ることになっていたので、室津も栄えたわけですね。
アジアとヨーロッパも古来よりシルクロードで結ばれ、東西の宗教や文化が行き交うなど、道を通じて活発な交流が行われていました。
今、私が播磨の道について提案しているのは、明石から姫路を貫通する播磨臨海道路の整備です。また、その途上にある姫路港の整備を図ることにより、陸と海の結節点を充実させていきたいと考えています。
玉岡:たしかにそういう「線」ももっと欲しいですし、「線」の上には「点」も欲しいですね。
那須:鉄道にしても道路にしても便利になると、「点」が「線」になってしまうというご指摘ですね。そういう意味では姫路を中心とする播磨地域のビジョンがとても大事になってきます。個性を失ってはいけないし、一方で便利さは必要です。そうしたことを踏まえて、播磨の魅力アップについてはいかがお考えでしょうか。
堀川:播磨は農作物が豊かで、おいしいものもたくさんあるのに、名産品と呼ばれるものが少ないんですね(笑)。
玉岡:確かにお土産がないですね。ヨーロッパではベネチアに行ったらグラス、ミラノに行ったら革の手袋というように記念でなく、実際の生活で使えるものをそれぞれの地域で買えることが旅行者の楽しみになっています。
那須:21世紀の播磨地域についてどう考えておられますか。
玉岡:播磨は経済活動の面ばかりで競争していかなくてもいいと思います。最近「癒し」がブームですが、この豊かな自然と歴史・文化をセールスポイントにすることが近道ではないかと思います。USJやディズニーランドのような人工の箱庭ではなく、豊かな自然が残っているのですから、それを大きなテーマパークとして捉えれば、もっとたくさんの人に来ていただける地域になると思うんですよ。その意味でも道は大事ですし、駐車場整備も重要な課題です。
泳いでいる魚が見える川、鳥が遊んでいる川、美味しい水が飲める・・・私達が誇るアイテムを最大限に生かせば、おのずと人が集まってくると思います。
堀川:姫路城とか書写山円教寺だけでなく、龍野の町並みも素晴らしいでしょ。播磨地域は祭りも盛んですしね。歴史と文化、そして自然豊かな食。何度も来たいというような町にしたいものです。
玉岡:それと観光だけではちょっとさびしいので、例えば播磨地域を特徴づけているため池をみんなできれいにするというような文化を創っていきたいものです。自然を通じてたくさんの人たちが参加するNPOという新しい文化がこの播磨で起きるかな、という期待を持っています。
課題はリーダーづくりと参加型まちづくり・・・
那須:これから川や道はどういう役割を果たしていくことが望まれているのか、お聞かせ下さい。
玉岡:経済成長期ならハードをつくってくださいというのが市民の願いだったでしょうけれど、今は私たちがこういうことをやりますので援助をしてくださいというスタンスに変わってきていると思います。
国土交通省も姫路市もインターネットのホームページを作られたり、とても努力されていることはわかるのですが、まだまだPRが不足しているのではないかと思います。ひとりひとりの市民に伝わる手段をもう少し考えていただけたら、と思います。
よく「ネットとフット」と言いますが「ネット」は既に立派なサイトを作っていただいているので、後は「フット」、フットワークですよね。私は顔を合わせたり人と話したりするとインパクトが残ってそのことを調べてみようと思うのですが、ぼんやりと聞いている情報というのはただ流れていきますよね。手作りのイベントでもいいので、播磨の川や道、遺跡・遺産といったものに関心が向くような仕掛けをたくさんつくっていただきたいですね。
堀川:ひとりひとりがふるさとのために何ができるか考えて、この地域はこうしようという意見や知恵を出し合い、いっしょに汗を流す。それをバックアップするのが行政であると思っています。国や県からは国内外で成功した地域づくりのモデルを紹介してもらったり、技術を教えてもらいたいですね。
玉岡:姫路が播磨の中核都市になることは望ましいことかもしれませんが、私は全国どこでも同じような都市になることにはブレーキをかけたいですね。播州弁とか播州人の温厚な性格や気質とか、こういうものは残していってほしいなと思うのですが、いかがでしょうか(笑)。
堀川:そうですね。姫路文学館の上田正昭先生はローカルであってグローバルな文化をつくっていくべきだ、という説を展開されています。まさにこれからの播磨地域に求められることですね。
玉岡:リーダーを育てるということも播磨にとって大きな文化的課題になってくるのではないかなと思います。
堀川:市川の中流に砥堀(とほり)というところがあり、和辻哲郎先生、柳田国男先生、桂米朝さんや藤岡琢也さん、それに私も含め周辺に生まれ育ったのですが、皆、子どもの頃はフナをとったりナマズをとったり一日中、市川で遊んでいました。未来のリーダーとなる子どもたちの心身の形成に川を活用したいですね。
那須:本日は堀川市長、玉岡さんご多忙のところありがとうございました。
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