玉岡かおる
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1月を送る
  ここにたしかに積もった時間
中日新聞 2005/1/25
 

 「い」ちがつは「い」く、「に」がつは「に」げる、そして「さ」んがつは「さ」る。年が明けてからの、日々のあまりに早く過ぎ去るようすを、昔の人はそんなふうに表した。
 なるほど、春を焦がれる気持ちに添うように、この時期はあっというまに一日がたってしまう。やっつけなければならない日常仕事は次々あって、自分を振り返る暇もないまま「行く」月とともに駆けていけば、一ヵ月など夢見るうちだ。
 ところがこの一月、わが家では、しばし立ち止まって、過ぎた時間を眺める機会がいくつかあった。
 まず正月に、十年ぶりの家族旅行にでかけた時。子供が小さい頃は、雪のたよりを待ちきれず一家でスキーにくり出したものだが、子供の成長の中に受験や部活が食い込んでくると、家族そろって遊びに行くなど至難の業になっていた。やっと下の子が最後の受験を終え、親にも子にも余裕ができたと喜んだら、今度は子供の方で、親なんかと行くより友達との旅行がいい、とうそぶく始末。二本板のスキーしかできない私や夫と違い、今の子はもっぱらスノボなので、もう断絶は決定的だ。
 一方、夫の母が腰を傷め、ひきこもりがちになって久しい。友人と旅行に行っても迷惑をかけるから、という遠慮からだが、外出が大好きだった人だけにつらいだろう。
 そこで娘らにも言い聞かせ、家族全員がそろう旅行はこれが最後、と出かけたわけだ。
 かつて義母は、家事もろくにできずに嫁に来た現代っ娘の私をてきぱき仕込んだ指導者だった。それが今では、ただただ無邪気な老婦人。何をするにも夫や私にまかせきりの、まるで子供が一人増えたみたいな調子である。
 それにひきかえ、女子大生となった二人の娘ときたら。買い物をするにもお茶をするにも、驚くばかりの情報力で、きゃぴきゃぴ大人を引っ張っていく。夫や私は軍資金を供給するだけの裏方だ。まさに、家族の中の下克上。手がかかるばかりだった子供たちが、義母をいたわり、時に笑わせ、これで最後どころか、また行きたい、と言わせるほどの旅行になったのは計算外のことだった。
 忙しく駆ける日々では、昨日と今日に特に大きな変わりがない。だから、去年も今年も、たいして変わっていないと思っていた。だが十年というまとまった時間は、こうしてけっこう大きな変化を見せてくれる。
 この実感、さらに翌週、上の娘が成人式を迎えた日にはひとしおだった。
 晴れ着はかねて用意ずみだが、当日は、彼女自身で予約してきたお気に入りの美容室に、早朝、一人で起きて、自分の車を運転して行くのである。小うるさい私にあれこれかまわれるより、さっさと自分でやる方が楽なのだろう。長年、優先順位は子供を一番にしてやってきたのに、子供の方ではとっくに私の助けなんかいらなくなっていたとは。
 一月は、こうして時を数える、目盛りの月であるのにちがいない。
 そして関西に住む者にはもう一つ、成人式の翌週に、嫌でも時の歩みを止め、そして十年前に立ち返る日がある。
 一月十七日、阪神淡路大震災。地底を揺るがす大地の唸り声と轟音にベッドごと転げ落とされたあの早暁のことは、十年たっても覚えている。子供の名を呼び、無事であるのを確かめて、余震の中をずっと抱きあっていたあの日。家具が倒れ食器類が激しく割れて家の中はすさまじい様相になったが、二時間後、親戚の家は全焼した。パジャマの上にダウンを羽織って避難して来た時、互いに言葉もなくただ泣いたのを思い出す。
 行くはずの日を送れなくて立ち止まった、永遠の冬。復興とはとりあえず、つらいことから順に封をしていくことだった。
 十周年を迎えた今年は、各メディアとも、日々のニュースの中で立ち止まり、この日のことをずいぶん大きく特集してくれた。しかし、区切りの十年が過ぎても、なお時は行く。小学生だった子供が成人し、街は変貌し、時代も移る。我々は、いつまで覚えていられるだろう。多くの命が失われたけれど、生き残った私たちは何十万といて、今日を、明日を、駆け抜けなければならないのだ。
 生きていれば、前に向かってさえいれば、時間はそれだけで後ろに道を作ってくれる。今日という日もまた積み重なれば、また新しい時のかたまりになるだろう。だからやっぱり、駆けるしかない。だが時折はこうして行く日々を刻んで、逃げる月、去る月に向かっていこう。