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犬のいない人生など考えられない、と言う絶対犬派の夫と結婚して以来、ずっと犬が家族の一員だった。だから、犬を語れば、それがそのまま自分史になる。
今いるビーグル犬はもう十一歳。子犬の頃、長女の友達が一家で東京の社宅に引っ越すことになり、犬を飼えなくなって困っていたのを引き取ったのだ。ジュリーという、ちょっと太めの愛嬌者だ。その腹を見て、よく「赤ちゃんいつ生まれるの?」と訊かれるけれどオスである。食いしん坊で、どうやって開けたのというようなクッキーの缶さえ空にする。きっと人間が見ていないところで肉球のついた手袋を脱いでいるのにちがいない。
私たちがいる、一緒にいる。ただそのことを無条件で喜び、先だけ白いローソクのようなしっぽを振っては、全身で嬉しいと表してくれる犬のけなげさ。おかげで、心の闇と呼ばれる現代の難しい思春期も、わが家の子らは犬にだけは幼い頃と変わらぬ素直さで向き合ったようだ。そうして時がゆき、子供は大人になって、人も犬も、それぞれのタイムテーブルで動き始めた。
そこへ、降って湧いたように出現した新入りの犬。夫がミニチュア・ダックスの子犬を買ってきたのである。むろんこれは、私にもジュリーにも「事変」であった。
ペットショップで売られているのを見てどうしても欲しくなったというのはわかるが、いったい誰が世話をするのだ。抗議する間もなく、母犬から離されて間もない子犬は私の膝の上で、すやすや、丸くなって眠ってしまった。私がいないとどうするのだろう。こんな無垢な命の温かさ、長いこと忘れていた。
かくして私はたやすく陥落したが、問題はジュリー。ちびは、人間よりも自分に似た姿の先住犬に興味深々、さかんにまとわりつくが、兄貴はこの侵略者が気に入らない。唸り声を上げては追い払う。無理もない、ずっと一人っ子できたのに、穏やかに過ごすはずだった老後も大いに乱されてしまったのだ。
彼の心中を思えば、ぐれてもいたしかたないところ、新しい家族を持った私たちの選択に黙って従う心根がいとしい。
ちびはそんな状況の一切を知らず、やんちゃの限りを尽くす。うちに来て、早や、胴の長さが二倍に延びた。ジュリーとふたり、大人になろうねと言い聞かせあいつつ、今日もちびに振り回されている。こんな日々も、また大切な自分史の一ページになるのだろう。

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