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旅が好きで、よく旅に出掛ける。
旅といっても、家族で出掛ける旅行もあれば、友人と行く温泉旅行もあるし、仕事で出掛ける取材もある。ホームとアゥエー、関西と東京を往復するだけの移動も旅のうちだ。私の中の旅の規定は、ただそこに行ったというのではなく、何かそこで生きた時間を持った、という実感があるかないかによっている。
船や飛行機に乗り遅れたり、荷物を忘れるミスをしじゅうやってる私なので、絶対アウトの危機を助けられたり、慰められたりといったドラマになると、もちろんその地はよく「生きた」場になる。しかし、たいして大きな事件はなくても、自分のために買ったおみやげがあるなら、「まあまあ生きた」うちには入る。なぜなら、決断力のない私は、買うか買うまいか迷ったあげく諦めてその場を去りながら、後になってやっぱり欲しいと思いなおし苦労して現地にもどる、という二度旅をやることもしばしばなのだ。だから、自然、品物には侮りがたい愛着が生まれている。
イギリスのティーカップにムラーノ島のワイングラス、九谷の茶碗もあれば小樽のガラス、タイの茶器やベトナムのポットなど。流通の発達した現代ではどんなものでも家の近くで手に入るのに、旅先で見かけた品は、今買わないともう出会えないような切迫感にかられるのはなぜだろう。家で眺めてみたらたいした品でもないと気づくのだが、その時買わずにいられなくなるのも、きっと旅という魔法がかかっているからにちがいない。
割れ物が多いので、旅の道中、ひやひや気づかいながら持ち帰ったことも思い出話。外国のものは、値切った時のやりとり自体もおみやげだ。キャビネットには、いつかそんな品々がどんどん増えてしまった。
十年前の震災の時、揺れの方向の関係だろう、わが家では南北に置いた食器棚と東北に置いたキャビネットとで運命が別れた。日々使っている器を納めた南北の棚は、全滅に近い勢いでこなごなになった。冷蔵庫や食器棚そのものが揺れて前進したほどの揺れだったから無理もない。片や、みやげを飾った東西のキャビネットは、家本体に作り付けということもあってか、奇跡のように破損を免れた。以来、いっそう歯止めなき物欲により、コレクションは増すばかりだ。
もっかのニューフェイスは、先月ドイツの旅でみつけた磁器のカップ。にんまり、キャビネットに飾るそれの値打ちは、買った私だけが知っている。

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