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あらゆる世代の女性を描きたい
決して軽いノリではない恋愛、誰にでも訪れる青春。玉岡かおるさんの小説を読んでいると、あまりにも身近すぎて、自分自身の過去では・・とさえ思えてくる。着実に小説家としての人生を歩み始めた彼女のこと、知りたい・・
■作家への道
「小学2、3年頃から小説のまねごとみたいなこをしてましたね。『お誕生日に何が欲しい』って聞かれて、『紙が欲しい』って答えたくらい。小学校4,5年の時にはクラスで月刊誌を作ったり・・・。今考えると変わった子供だったわね。就職を考える時も、ものを書くことに携わっていたくてこだわったんだけれど・・」
結局、大学卒業後1年のブランクの後、2年間三木市で高校の教師を務める。
「その2年間に集めた材料が、いま小説の中でとても役に立っている」と言う。
「本を出すきっかけになったのは、ノンノのノンフィクション賞で大賞をとったこと。授賞式の時、審査員の先生に『小説を書きなさい』と言われて、そらからすぐ通い出した朝日カルチャーセンターで出会ったのが川端柳太郎先生(講師)。当時24歳の私が、がむしゃらに青春小説を書きまくるものだから、最初はびっくりなさっていました。でも、私の熱意を分かってくださってたようで、神戸文学賞の応募を勧められたんです」
それが先生の期待どおり受賞。すぐ後、新潮社から受賞作。“夢食い魚のブルーグッドバイ”を出すことになった。
■小説の題材について
「“蟹・・・”の舞台は高砂。地球上に住んでいるのは人間だけじゃない。こんなに小さな生き物も、土着の生活には重要な役割を果たしている、ということを書きたかったんです。
1作目が“魚・・”で2作目が“蟹・・”だから、シリーズで3作目も海のものをと思ったんですけど、結局3作目(現在執筆中)は“クォーター・ムーン”という大阪の女の子が主人公の小説に。あくまでも青春にこだわったストーリーでいきたい。私自身が女子大で何か燃えられなかった分、紙の上で青春し続けたい!(笑) いつも必須なのは女性。“家族”を基盤に、あらゆる世代に渡った女性の生きるシーンを描きたいんです。
将来的には、歴史ものを書きたいですね。若い女性が主人公の戦国青春物語。これは50、60歳まで温め続けようと思ってます(笑)」。
■作家の時間
「ノンフィクション賞を受賞してすぐお見合いして結婚したでしょ。先に本を出していたら、書くことだけで手一杯で結婚してなかったかもしれないわね。
執筆活動はもっぱら夜です。子供(6歳と4歳の女の子)を寝かして家事を済ませて書き始めるのが午後11時頃。夜中に主人の『ラーメン』のひと言で頭の中が真っ白になっちゃうことも。よっぽど理解のあるダンナ様が・・・と言われますが、そんなことはないのよ。本を出して、主人が一番驚いているくらい。“魚・・”が出た時、大切そうに本を見せたら、カバーの私の顔写真を見て『もうちょっとましなモノは亡かったのか』よ(笑)」。
とはいってもやはり家族のことを語る時はうれしそう。
育児をしながらも常に書き続けてこれたのは、川端先生(前述)と実のお母様の存在が大きいという。
「母は、私が小さい頃からずっと、書き続けるのを見守っていてくれましたし、女性を描くことの素材をたくさん残してくれました。
先生もそんな母も、結局私の本を手にしないうちに亡くなってしまったのですが、この2人が私に書くことをやめさせなかったのでしょうね」。
彼女の成功を誰よりも応援してくれていた2人の死によって、さらに作家の道を歩む気持ちが固まったらしい。
とても客観的に自分の事を語る玉岡さん、インタビューが終わった瞬間、母親の顔に戻った。
(シティ編集部 赤松寿子)
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